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温度は25度程度で無色透明のナトリウムとヒドロ炭酸イオンをを多く含み、リューマチ神経痛に効果あり源泉は田んぼの中にあり地下310mより湧き出している毎分45リットルの湯量を誇っている。 |
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| 大安寺温泉 | |||
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| 泉質:単純アルカリ温泉・カルシウム泉・ナトリウム泉 効能:胃腸病・美肌効果・疲労回復・リューマチ・神経痛 |
| 『大安寺温泉』 現在、大安寺地区にはいくつかの温泉があります。私は、この温泉の歴史について いろいろ調べてみましたが、はっきりした資料は残っていませんでした。そこで、昔、 庄屋をつとめていた古い家に残っている書類(古文書)や、この土地のお年寄り(古 老)に聞いた事をもとにして、お話をしたいと思います。 天菅生の小木家に伝わる、元禄3年(今から約300年前)の奉公所の税金の事につ いて書いた文書(御墨付=おすみつき)に、「天菅生からお湯が出て、福井藩の武士 や町民が、その恩恵を受けているから、天菅生村高158石2斗の税のうち、8石1斗を 除地(無税地)としてやろう…」ということが書かれています。これが一番古い資料では ないかと言われています。しかし、この頃よりずっと以前からお湯が出ていたことは確 かなことですが、それがいつからかということは明確に分かっていません。 古老から聞いた話によると、お湯は田んぼの中の手掘の井戸から出ていたそうです、 お湯の温度は27〜28度位あったようです。近年その土地を掘ってみると、そこから竹 の筒をつないで、江上地区の方へお湯を引いていた跡があり、「湯通り」という地名も あったと言われています。また、小木家の古文書によると、隆芳院様(忠昌)の時代に、 ぬるいお湯だったので、もっと掘ってみようという動きがあったようですが、成功しなか ったため、ずっとそのままの状態になっていたようです。そして、昭和の初め頃まで、 江上やその他の村から、荷車の桶を積んで、天菅生までお湯をもらいにきたという詰 も残っています。明治の初期には、竹筒でお湯を引いた旅館(はたご)が沢山あり、 「あらや」「ふじや」「あたらしや」等の屋号が残っています。 近くを流れる九頭龍川は、古代から江戸時代にかけて交通の重要な役割を果たし ており、大正時代までは、舟を利用すれば、福井一三国間は、一昼夜をかけて目的 地に着くので、利用者が多かったようです。北海道から三国港へ荷揚げした品物を、 九頭龍川を舟でのぼり、九十九橋のたもとまで運んだそうです。荷物を積んだ舟が三 国を出ると、ちょうど天菅生あたりで夜になるので、舟に乗っている人達は、天菅生の はたごに泊まり、お湯に入って身体を休めたという話が伝えられています。このように、 明治の終わり頃まで、天菅生地区は非常に栄えましたが、お湯で悪い病気がうつると いうようなうわさ話が広まって、はたごは火を消したようにさびれていました。 その後、昭和35年頃、温泉を掘りたいという人がありましたが、人々の中には、村全 体のためにならないということで、温泉を掘ることに反対があり、実現しませんでした。 ところが、福井市に合併するときの条件として、市の財源で温泉を掘って貰うことになり、 莫大な費用をかけて、温泉の発掘は行われました。そして、昭和38年に、現在の百 華園がある所で、「大安寺温泉」という命名が行われました。 この温泉について、福井大学の塚野先生に調べてもらったところ、地下の地層が岩 盤で、その岩盤の割れ目から吹き出している熱いお湯が、九頭龍川の伏流水に薄め られているので、ぬるくなっているということが分かりました。もっと深く、500メートル程 掘ると、高温の泉源に行き当たるらしいということでしたが、市の財政面での事情もあ って、深く掘るということを断念することになってしまいました。 最近、貌在の百華園が老朽化したこともあり、また、近代的で多目的な施設に改築し たいという話が持ち上がり、57億円という費用をかけてのすばらしい建物が完成しつ つあります。また、大安寺地区には、天菅生地区の他に、四十谷、楢原地区にも温泉 が出ています。 |